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宗教的「祈り」についての研究 : 『教行信証』を中心として
https://kiis.repo.nii.ac.jp/records/217
https://kiis.repo.nii.ac.jp/records/2179be52127-d84f-4495-974b-4f4912bb5a63
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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Item type | [ELS]紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||
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公開日 | 2005-03-22 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | 宗教的「祈り」についての研究 : 『教行信証』を中心として | |||||
言語 | ja | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | A Study of Religious "Prayer" : Centered on the "Kyogyoshinsyo" | |||||
言語 | en | |||||
著者 |
中山, 彰信
× 中山, 彰信 |
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アクセス権 | ||||||
アクセス権 | open access | |||||
アクセス権URI | http://purl.org/coar/access_right/c_abf2 | |||||
内容記述 | ||||||
内容記述タイプ | Abstract | |||||
内容記述 | 今回、宗教的「祈り」としてタイトルを考えたことは、ある宗教 学者が「祈り」が宗教の核心で、祈りなくして宗教は成り立たない と述べられたことに疑問を感じたからである。 宗教の中で「祈り」をぬきにして考えることはできないということは一般的に全ての宗教にあてはまるように考える。 しかし、それが正しければ宗教の本質は祈願であると言われても否めない。祈願ということを中心に考えれば、宗教の真実性が問われ、偽りの面が 多々あると考えられても反論できない。故に、宗教の本質とは如何 なることであるかについて考察していくものである。 そこで、「祈り」の言葉を通し、宗教者の中で「祈り」の文言につ いて厳しく注意されている親鸞の考えに注目し、主著である「教行 信証』を通して、「祈り」の捉え方、及び宗教の本質について問うものである。 |
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言語 | ja | |||||
言語 | ||||||
言語 | jpn | |||||
資源タイプ | ||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||
収録物識別子 | ||||||
収録物識別子タイプ | NCID | |||||
収録物識別子 | AA11371994 | |||||
収録物識別子 | ||||||
収録物識別子タイプ | PISSN | |||||
収録物識別子 | 13492780 | |||||
書誌情報 |
ja : 九州情報大学研究論集 en : Bulletin Kyushu Institute of Information Sciences 巻 7, 号 1, p. 128-110, ページ数 19, 発行日 2005-03-22 |
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出版者 | ||||||
言語 | ja | |||||
値 | 九州情報大学 |